東京オリンピックなどで大盛況だった旅館を義母から引き継いだものの、大阪万博を境に衰退の一途をたどり、ついには宿泊客ゼロの日が3日続きました。澤さんは意を決して、それまで奨めてくれていたジャパニーズ・イン・グループ創立者矢島旅館を見学、そのお客の多さに押されて外国人客受け入れを決意、早速にグループに加盟営業を開始しました。
「外国客の受け入れを始めてから3年間ぐらいはもう大変でした。次から次へとアクシデントが起きるのです。しかし、外国に関する関心が高まるにつれ、そうしたアクシデントは文化や習慣が違うからで、外国人客に悪意があるわけでないこととわかり、気が楽になりました。」
言葉の問題、設備のこと、外国人宿泊客との様々なトラブルを抱えながらも、宿泊者数は順調に増加し、過去23年間で80カ国,のべ11万人を超える実績を残しています。 平成15年度には国土交通省認定<観光カリスー関東第一号>となりました。 |