はじまりは、手賀沼の水質汚染が問題になった1980年代の初頭、市民活動の一環として起こった「合成洗剤追放」の条例策定の直接請求運動。 「手賀沼を守ろう!」というスローガンのもと、新・旧住民の垣根を越えた運動が展開されました。
直接請求の署名運動は短期集中の「お祭り」といったにぎやかさだったと言います。 新住民が地元の農家の縁側でお年寄りと会話しながら署名をもらうなどの、たくさんの出会いを生みながら、無事、条例が制定されました。
その後、こうした運動の盛り上がりは「市民による、せっけん工場を」と言う流れに。そしてさらに「障害者とともにつくるせっけん工場を」目指す流れにつながっていきました。
せっけん工場設立の動きは「障害者とともに廃食油でせっけんを作る工場準備会」として1982年から始まりました。 当時の中心を担っていたのは、福祉作業所の職員と生活クラブ生協。
用地確保、資金確保、廃食油回収ネットワークづくりなどたくさんの問題をクリアするための話し合い、試行錯誤が積み重ねられ、2年後には工場が完成し、廃食油回収が始まりました。。 「せっけんの街」の誕生です。
設立資金は3,000万円。そのうちの1,000万円は市民による一口1,000円の出資でした。 手賀沼せっけんの工場は、9,000人を超える市民の意思の結晶ともいえます。
工場は当初、株式会社としてスタート。その後、NPO法設立とともに「NPOせっけんの街」が設立され、さらに2003年には株式会社とNPOが統合し、「NPO法人せっけんの街」として新たなスタートを切っています。
理事長の比戸さん
我孫子市コミュニティビジネス起業化講座
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